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長距離と短距離の戦略はまるで違う


42.195kmを走っていた頃、同様に100mを13秒台で走っていたので、ちょっとした小さな社会では比較的体力のある方ではあった。今思えば、その頃はバスケットボール部だったのでバスケットボールの練習をしているうちに長距離にも短距離にも強くなったというのがあったと思う。しかし、この、長距離走と短距離走、そして緩急が激しく繰り返されるバスケットボールでは走り方がまるで違うのである。勿論基礎体力的なものは共通してあるにしても体力を無駄につければよいというものではない。

長距離走

長く速く走るためには、とにかくたくさん走らなければならない。たくさん走らないで(たいしたトレーニングをしないで)長く速く走るのは不可能だ。少なくとも毎日10kmぐらいを半年間走らなければ心肺機能は発達しない。私の個人的な感覚で言えば、ゼイゼイして呼吸が荒くなるような長距離走を3ヶ月続けると如実に効果が出てくる。今まで苦しかった距離も楽々走れるようになってくる。当然走る距離は長くなるか、あるいは、その一定の距離間での速さが増してくる。私は距離を伸ばす方でトレーニングを続けた。
トレーニングの開始時は、まず最初に心肺機能がついてこない。デットポイントを超えると息が切れて呼吸が追いつかないのである。金栗四三がやっていた「スッス、ハッハ」という吸うときと吐くときに2回づつに分ける呼吸法は本当にそのとおりで、心肺機能を最大限まで引き上げることができる。苦しいというところまで全力で走りきって3ヶ月。心肺機能は著しく成長する。誰もが長距離走を諦めてしまうのはこの最初のポイントでの息苦しさがある。しかしこれを超えてしまうと長距離走はさほど骨の折れるものではなくなる。
だが次に訪れる障壁は筋肉である。心肺機能が著しく機能成長したところで次に筋力が追いつかなくなってくる。当たり前の話だけど、足の筋肉がついてこなくなる。心肺機能は充分なのに足の力が足りないという感覚がはっきりとわかる。これは本当に筋力がないのである。しかも長距離に特化したいわゆる赤い筋肉が足りないということだ。あなたの現在の筋肉が長距離に特化していないということである。しかしこれはまたトレーニングで何とかなる。とにかく足が重くとも走っていれば何とかなる類の訓練だ。ほどなくして、ずっと振り続けている手が痛くなってくるのである。とくに腕を持ち上げている上腕二頭筋が非常に重くなる。途中で手を伸ばしてぶらぶらしないと手が重くて仕方なくなる。走っている間じゅう振り続けている腕というのは意外にもものすごいエネルギーを注いているのがわかる瞬間だ。そしてそのままトレーニングしているとほどなく腕も最適化される。長距離に特化した腕に特化される。筋肉の問題は、どんどん各部位にまわってゆく。首の筋肉、背中の筋肉、腹筋などなど長距離というよりその長い時間体を支えるという意味での筋力は輪番みたいにぐるぐるとまわってくる。一部が鍛えられると、弱い部分が目立ってくる。その弱い部分が鍛えられると一度鍛えられたはずの筋肉が更に弱く感じるなどなど。
これらの心肺機能と筋力(特に長距離に特化した赤い筋肉)が鍛えられると最終的に何が来るのかというと、皮膚が最終的な障壁になる。3時間-4時間走っている最終に終始摩擦を起こしているTシャツの袖と腕の接触部分や常に上下シて動いていることで擦り切れる乳首、当たり前の話ではあるが、どんなに優秀なスニーカーを履いていてさえも靴擦れや水ぶくれなど、長距離走に皮膚が耐えられなくなる。テーピングや絆創膏で保護しながら走るわけだ。マラソンランナーが最終的に水着みたいな姿で走るのはそういうわけだ。皮膚との摩擦を最小限にするのである。
少距離のトレーニングはこの3段階で成り立っている。この3段階が終わると、最初に戻って心肺能力がまだ足りないといった感覚になってくるのである。長期戦略はほぼ毎日の積み重ねしか役に立たない。

短距離走

100mから200m走のことを短距離走ということにする。有酸素運動を伴わない距離を短距離という概念で語るのが正しいと思われるからだ。400mが無酸素なのか有酸素なのは絶妙に難しいところなのですが、ここでは特殊過ぎるので話題にしない。



2022.03.24