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プロフェッショナルと素人の違い


プロ棋士の羽生善治のアイスクリーム伝説という逸話がある。深浦康市九段が対戦したときのエピソードだ。

深浦:
僕、アイスクリーム頼みたいんですよ。メニューにも当然あるんでそれを頼みたいんです。それ夢なんですよ。やっぱりいいじゃないですか。冷たくて。もう最終盤とか火照った体をちょっと冷ますって感じで理想的に思うんです。ただ冷たいもの急に入れるとおなか壊しちゃうかなーって、ちょっと競った局面でリスクは負いたくないって。
本田:
 でもアイス来たらすぐに食べなきゃだめですよね。
深浦:
そうそうそう。僕はずっと思ってて、羽生さんとタイトル戦の時に羽生さんが頼まれてて、僕はシュークリーム頼んでて「あー僕のシュークリームちょっと貧相だな」っと思っちゃったんですけど(笑)
将棋もすごい佳境で、でもアイス運ばれてて羽生さん手つけないんですよ。
途中から羽生さんのアイスクリームが気になってですね、いつ食べるんだろうって盤面みながら、
おやつの方みたりして、こっちにちょっと動揺が出てきたんですね。
本田:
アイスで動揺(笑)
深浦:
10分15分経つごとにアイスクリームが溶け始めてるんですね、対局室も結構暑いですから。
んでドンドンドンドン溶けだして、僕はもう気が気じゃなくて、「アイスクリーム溶けてますよ」って
言いたくなるくらいだったんですけど。
そのうち完全に溶けちゃって、もう液状化されてバニラジュースみたいになってんですよ。
でも羽生さんは全然意に介さなくて、「ああこれはもう将棋に没頭してるんだな」と僕も考えるの諦めて
将棋のこと考え始めたんですけど、3時30分くらいですかね?やおらに羽生がその器を持って、
バニラジュースをズズズッと飲み始めましたね。
あれを見て「今日の将棋はダメだな、負けそうだな」と思いましたね。

「F1を同じ車で同じタイヤで同じ燃料で走らせて競わせれば、どのドライバーが最も速いかがわる、という人がいる。そういう人は精神がアマチュアなんだね。プロって何かがわかっていない。お金、環境、道具、あらゆる要素を有利に揃えて、圧倒的に勝つところを見せる、それがプロなんだ。」(中嶋悟)

幼稚園から高校卒業まで、我々はある平にならした平等という地面に慣れ親しみ、その平等を基準に様々な分野で競ってきたに違いない。これは全くもってプロを育てる環境ではない上に、プロを育てる意思がない。そもそも教師自体がプロフェッショナルの意味を知らないのだ。試験時間は皆同じ時間を割り当てられる。一直線のラインから鉄砲の音と共に皆で駆けっこを始める。これが競い合いにおいて必要な条件だと思い込んでいる。能力や努力の差はこの土壌で醸成されると信じられている一種の宗教みたいなものだ。オリンピック競技がアマチュアの集団であるのはそういう意味では頷ける。しかしプロの世界はそうではない。プロの世界を直喩として表現するなら、野生の動物が如何にして生き残るか?というものと何ら変わりがないのだ。つまり自身の周囲のあらゆる状況、あらゆる変化、あらゆる思考、あらゆるタイミングでもって獲物を獲得し生き残るのかというその一点に尽きる。プロの棋士は最終的に相手の王様を取るというゲームであり、それが成し遂げられればプロなのである。その勝利に向けて一定のルールはあるものの騎士は勝つためには将棋以外の様々な要素を利用する。加藤一二三の駒の打ち方は独特である。
ある企業が何らかのコンペティションで勝ち残るためには何をしてもよい。日常的な企業努力があり、そもそもの信用があり、様々な土台がある。そもそも出だしからして不平等なのがプロフェッショナルの世界だ。そこには「ズルい」といったマナぬるい感情論はない。距離を短く走っているから速いに決まっている!それは至極当たり前で距離を短くすることに注力できた結果誰よりも速くゴールできたということ、またそういった状況を意図的につくることができるのがプロなのである。
プロの傭兵3人いた場合、20人以上の同じ敵の傭兵に囲まれた際に、負けるのはプロの仕事ではない。通常は20人のチームが勝つと思うだろう。しかし3人のチームが20人のチームに勝つことがプロフェッショナルの仕事だ。10人づつ平等に兵隊を敵と味方で分けましょう。さあ戦争をはじめてください、こんな戦争はない。ここで3人の傭兵は生き残り且つ敵に対してダメージを与えることを考えなければならない。平等であることを前提とした不平を言っている場合ではないのだ。意識的にしろ無意識的にしろ生き残るためにはあらゆる手段を行使しなくてはないらない。

素人の考え方は科学的だ。理論に基づいているのだ。つまり前提条件のもとに理論を積み重ねる。プロフェッショナルはそうではない。例えば大きな失敗があった場合、素人は大きな失敗を経て反省をする。しかし人生においてその失敗した状況と全く同じ状況をがもう一度再現されることがあるだろうか。否。失敗から学ぶ成功は皆無であると知っているのがプロの仕事なのだ。そして、そのプロが知っている経験や直感や判断力はどんなものなのか。それは必ずや他言されないだろう。それゆえにプロなのである。

つまり人間が生きるということは、プロフェッショナルではなくてはならない。



2022.03.19