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Poisoning symptoms life


 すこぶる表現しづらいのであるが、人間は基本的に中毒症状の中で生きているのだと思う。千葉雅也@masayachibaさんが言うように「働かなくてよい社会が人間に幸せを約束するとは思えない。人間はそもそも過剰な認知エネルギーを何らかのタスクを行うことで消費しなければ、主体性が安定しない。おそらく労働が極限まで減らされると、その代替となる仕事的なデジタルゲームのようなものの規模がさらに大きくなるだろう。」という言葉にあるように、確かにそのなんらかのエネルギーというものが仮にあったとしても、これらが我々の考えている労働に結びつくようなエネルギーではないと私は思っているのである。むしろこのエネルギーは仮に働かなくてよい世の中が本当に実現するとしたら、むしろもっとネガティブな方向に向かうような気がする。極端な話、私個人で想像するなら殆ど享楽的で麻薬的な中毒症状的な方向でタスクを消化すると思っている。そして世の中の創造的且つ生産的な労働の賜物は結果として創造的且つ生産的というようなあたかも善的でポジティブな側面をもつように見えるが私は人間の単なる中毒症状的なものが、何らかのかたちで偶然生産的になったというものに過ぎないとさえ思っている。
 幼い頃は集中力があるとよく褒められた。成人してからは集中しすぎてその他のことを殆ど忘れるものだから逆に叱られることが多くなった。これは同じ労働の側面のポジティブな側面とネガティブな側面の両方があり等価である。私が生業とするシステムの知識や経験は実際のところ非常に中毒的な集中力で手に入れたものだ。大学生時代には寝ずに食べずに甘いコーヒーとタバコだけでシステムの勉強をした。当時のコンピューターコミュニティは非常にオープンで学習する人間にとってはどんな情報でも無償で提供してくれるコミュニティーがあった。システムを作ることが楽しく特にそれ以外のことをやろうとも思わなかった。私はどんどん痩せ一月に10Kgほど痩せた。三日間何も食べずに水だけで過ごしたこともあった。何せシステムの勉強は脳と指先以外のどこも使用することがないのだ。集中しすぎてお尻の肉が床ずれしてベロっと剥がれたこともあった。大学生で一人暮らしということで、このような生活を咎める人は誰もいなかった。
 私にとってこの麻薬中毒者のような生活は大学生の夏休みの3ヶ月間続き、独学としては相当量の知識を身に着けた。さしがにお腹がすいて目眩がするようになると私はゆで卵を作った。熱々の出来たてのゆで卵に多めの塩を振って食べると、この世に存在するとは思えない異常な美味しさを味わうことができた。ゆで卵がこんなに美味しいものであるとは誰も知らないだろうなと思った。喉を潤す水、極端に濃いコーヒー(殆どの場合はエスプレッソを飲んだ)、時々食べるゆで卵、一日二箱程度吸うタバコ(マルボロ)。座っていることに限界まで堪えられなくなるまでPCに向かい、一旦寝てしまうと寝ているのが辛くなるまで眠り続ける。これは勉強に集中している真面目な学生の姿ではなく、麻薬中毒に陥ったジャンキーと対して違わない生活であるということだ。このとき得た知識や経験が何一つ生み出さない非生産性の極みのような代物であったなら、モリリは学生時代は単なるジャンキーだったということになるだろう。たまたま運良くそれらの知識が後世で重要な価値を生み出すことなったという運のみで私は「努力家であり、頭がよく、学生時代から独学でキャリアを積み上げてきた」というポジティブな側面のみ強調されるということになったのだ。
 明らかに労働から自由な世界で私が行った「過剰な認知エネルギーを何らかのタスクを行うことで消費しなければ、主体性が安定しない」それがこれだった。運が良かったのだ。



2022.07.22