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性暴力に関して思うこと


性暴力”裁判 被害女性が語った15分のことばを読んで思いたることがいくつかあった。一つは非常に軽度なことで、もう一つは非常に重度な事柄だ。
私達の感覚は人を介して変換されるように出来ている。ある心理学者は転移と呼び、ある心理学者は投影と呼ぶかもしれない。一般的には人間は他者に影響されたり、同調したり反発したりする。それらはそれぞれ人間の異なる感情に対して何らかのレスポンスを行っていることになる。悲しんでいる人間があなたの前にいたとしよう。あなたは悲しんでいる事情を尋ねるかもしれない。その事情や理由によってはあなたは怒りを覚えるかもしれない。その人間を悲しませている人間に対する怒りだ。あるいは、悲しんでいる人間と全く同様にミラーリングするように悲しむかもしれない。あるいは、全く別の感情を喚起するかもしれない。いずれにしろ、私達は他者の何らかの感情に対して、自分自身の何らかの感情を持ち得るのだ。この基本的な機能、この自然な機能には改めて名前をつける必要もないのか、あるいは心理学的な現象として何らかの名前があったり定義づけされているのかどうかは私にはわからない。しかしながらそうしたものがこの世の中にはある。ハイデガーが「存在了解」といったように理由は特にないが、そういうものがあると誰もが認めるもの、それが感情の反応や感染だ。

性暴力と暴力

個人的には性暴力といった特別な言葉を私自身はあまり信用していない。なぜなら、性暴力はすべからくただの暴力だからだ。ナイフで刺されたり切りつけられたり、殴られて歯を折られたり、高いところから突き落とされたりするのと何らかわりがない。ただの傷害罪であり殺人未遂であるという認識で個人的には全く問題がないと思っている。

痴漢

2018/12/13 8:22に私は「今、痴漢を捕まえた」というツィートをしている。どういうわけか、私は痴漢の現場にしばしば居合わせ痴漢を捕まえることになる。一回目は取り逃がし、二回目も取り逃がし、三回目で現行犯で捕まえることができた。
そして、痴漢に遭っている女性の話をよく聞く。付き合った歴代の彼女からも聞いた。同様に女友達からも聞く。様々な人から痴漢の体験話を聞くが、その殆どの人が泣き寝入りしている。警察に突き出した例は私が知っているもので1例しかない。もしかしたらあれは偶然手が当たっただけで痴漢ではないのかもしれないといった感覚もあるらしい。あるいははっきりと痴漢であるとわかっても警察からの取り調べや手続きなど丸一日を無駄にしなければならないことを考えると痴漢で声を上げて痴漢を逮捕することに全く見合わないということがある。たった2、3分の痴漢行為に自分の一日を割かなくてはならないのだ。
それとは全く反対項として痴漢の冤罪に注意というメッセージも男性間にある。痴漢の冤罪にあったら黙秘し続け専門の弁護士に連絡するというメソッドや、冤罪は100%冤罪にならないという噂から即座に走って逃げろ!など、様々な情報が飛び交っている。私自身も電車に乗る際はつり革に両手で捕まっているようにしている。何もしていない自由な手は痴漢の容疑につながる。しかも私はこの日本で最も痴漢の件数が多い路線で毎日通勤しているのだ。そういう意味でも痴漢は男性にとって加害でもあり被害でもあるという二重の意味で苦痛な場所である。ジャングルの動物たちが騙し合いをしているように日本の電車もそういう意味では常に騙し合いをしている。

痴漢は被害者の女性が声をあげなければわかりづらい。いや、むしろ女性が声をあげなければそれはなかったことになるのだと思う。現実にどれだけの痴漢という犯罪行為があるとしても、それが痴漢行為であるという判断は女性に任せられているのだ。(それゆえに痴漢の冤罪も存在することなる。)
「この人痴漢です」と大きな声をあげたのは女子高生だった。おおよその安っぽいドラマではハンサムな男がすぐに助けてくれるのだろう。私の経験ではこのような事態が発生したとき、電車に乗っている他の乗客は通常無視をする。諸説、あるいは様々な事情があるとしても、そもそもそのような事件に関わり合いたくないのだ。声をあげた女子高生がそもそも嘘をいつている可能性もあるし、嘘ではなくともそもそも彼女の勘違いの可能性すらある。朝の慌ただしい時間帯に自ら痴漢事件に関わっていこうなどという愚者は殆どいないのだ。あるサラリーマンは朝イチから大切な会議があるかもしれない。痴漢の男性が非常に暴力的な人間で殴られたりするかもしれない。いろいろなことを考えるはずだ。例えば急病で倒れたときなども、最近では「誰か助けてください」では誰も助けないという話を都会ではよく聞く。助けてもらいたい人間を指差して「あなたは救急車を呼んでください」と具体的に指示しないと誰も助けてくれないというのが都会の難しいところだ。ところで、インターネット上では中国北京の街で倒れている老人を誰も助けないといった趣旨の動画が拡散されていたりした。つまり「北京の人間達はこんなにも冷酷です」という半ば(どんな意図があるのかわからないが)プロパガンダ的な映像だ。日本のあまり知性のない人間は「かわいそう」などと言うのだろう。が、しかし、事情を追えば、最近北京では倒れているふりをして助けてくれた人のスキを狙って財布を盗んで逃げるといった事件が多発していたという背景があった。そういうバックボーンでは誰も老人を助けないだろう。そもそも老人は犯罪者なのだ。都会はそういった意味ではいつでも騙し合いの街でもある。基本的に都会では手助けすることには非常に大きなリスクがある街なのだ。


性暴力被害者支援 情報プラットホーム THYME



2022.04.19